体重
メラピークから帰ってきて体重を計ったら、68キロだった。行く前は72キロあったので、−4キロ。ここ数年見た事も無い数字です。
2週間ぐらい風呂に入っていなかったので、お風呂やさんに行ったついでに”あかすり”をお願いしたところ、何と67キロ台になりました。
しばらくすると元に戻るんだろうな、、、、、、。
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メラピークから帰ってきて体重を計ったら、68キロだった。行く前は72キロあったので、−4キロ。ここ数年見た事も無い数字です。
2週間ぐらい風呂に入っていなかったので、お風呂やさんに行ったついでに”あかすり”をお願いしたところ、何と67キロ台になりました。
しばらくすると元に戻るんだろうな、、、、、、。
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今回の山行は、色々あって、手放しでとても良かったとは言えない。そもそも最初からメラピークに行く予定ではなく、紆余曲折があって結果的にメラピークになったというのが事実である。
登山は、その入域しようとする国や地域の事情に大きく左右される。そしてその社会状況に応じて、自分(達)もどうするか、対応を迫られる事になる。
今回この対応を巡って、自分と、そして自分以外の方の動き方を見て、随分と考えさせられる事実が多かった。これらの事は、今後の参考としたい。
しかし、初めてのヒマラヤで過ごした時間は、非常に有意義だった。食事も作らなくてもいい、荷物はポーターに持ってもらえるなど、こんな大名山行になるとは夢にも思わなかった。
参加メンバーの中で、ヒマラヤ登山の経験を持っている方が数名いて、「彼ら(シェルパやポーター、キッチンボーイ)の仕事を奪ってはいけない。我々はサーブ(旦那)としての、役割を全うしなくては」等々、冗談まじりでよく話をしていたが、少々複雑な気持ちだった。
ポーターやシェルパの仕事は、現地の人にとっては貴重な現金収入の方法のひとつなのだろう。
道々行き交うポーターには、小学生?と思われるような子供と大人の親子と思われる二人連れもいて、お互いを気遣いながら荷物を運んでいる。また、多くはスニーカーのような靴を履いていたが、中にはサンダル、もしくはサンダルさえない”裸足”のポーターもいて驚かされた。
男性はポーター、女性はバッティ等での食事やお茶作りというパターンが多いようだが、皆概してよく働く。お風呂も毎日入れないような、決して衛生的とは言えないような環境だが、女性は沢の水で毎日顔を洗い、身ぎれいにしている。
同年代の日本人がどうか、つい比較してしまう。
一方、残念ながら山頂には届かなかった今回の山に目を向けると、5000Mを超えた時のあのしびれるような感じと、もっと上に行ったらどうなるんだろうという好奇心がどうしても押さえきれない。
次回行けるのはいつになるのかは分からないが、ぜひ機会を作り、またアタックしてみたい。
毎日SPOとパルスを計ったが、SPOは大体80前後、パルスは90前後だった。不整脈の予防のためピメノールを持っていったが、昨年春アブレーションを受けた心臓は、無事普通(正常同調律)に動いてくれた。
アブレーションを受けていなければ、メラピークに行くことすら叶わない希望だった事を考えると、アブレーションを受けて本当に良かった。
今回は現地のコスモトレックに非常にお世話になった。感謝すると同時に、次回行く時はぜひお世話になりたいと思う。
それから最後に、自宅に着いてから、ザックの雨蓋に入れておいたラジオが盗まれていることに気がついた。現金を抜かれたという例もあるらしく、後で聞いたところ、おそらくバンコクで荷物の積み替えの際抜かれたのだろうということだった。バンコク空港が、だんだん”悪く”なってきているようです。
今後行く予定のある方は、お気をつけ下さい。
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ルクラに着いた翌日、無事飛行機が飛んだ(ルクラの飛行場は有視界飛行なので、天気が悪くなると飛行中止になる)ので、カトマンズに下山し、現地のエージェントであるコスモトレックに今後の事を相談した。
相談の結果、カトマンズの医療状況や、土日を挟む(下山したのは金曜日)ことから、早急に日本に戻り、日本の病院に行くのが一番いいだろう、という結論になった。
さて、ここから結構大変だったのだが、
まずどんな航空券をとったのか不明のため、催行元の国内のエージェント(某A社)へ連絡。返事は、二つ方法があるとのことだった。
ひとつは、空港のカウンターに行き直接日付変更を交渉すること、もうひとつは保険会社と交渉し、新しいチケットを買い直すこと。いずれも自分でやってくれ、とのことだった。
保険会社(国内某M社)と交渉するも、相手の言うことが二転三転し、なかなか結論が出ない。挙げ句に、10/15に催行元の国内エージェントから問い合わせがあった際、「新しくチケットをとった場合は、保険の対象にならない」と既に伝えていると言われた。
また、もうひとつの方法である、空港カウンターでの直接交渉では、「ベリー ローコスト チケット」のため駄目、と断られた。
帰国後、催行元の国内エージェントに、上記の件を話したところ、別にクレームをつけた訳でもないのに、「先に言ったはずだ」と急に自己弁護を始めたので、白けてしまった。また「ベリー ローコストチケット」と言われたので、「いったいいくらのチケットなんですか?」と聞いたところ「約10万です」という見え透いた嘘を言ったので、さらに突っ込むと「言えません」との返事だった。
今回は目の調子がおかしく、色々と困って保険会社と催行元の国内エージェントに連絡したが、残念ながら双方とも、客の困っている現状を何とかしようと言うより、自社もしくは自己の都合を優先した対応が目立った。
催行元の国内エージェントについては、申し込み時にはお客が欲しいという事情があったのだと思うが、その時の対応と、今回の下山後の対応はあまりにも違っており、実質的には何もしてくれなかった。
また、保険会社の方は、電話をかけたのが金曜日の午後ということもあり、退社時間がもう過ぎているということと、土日を挟むため、社内での検討結果の返事は3日後になると言われた。
オフィスアワーについては、交渉途中でこちらも気になったので、確認したら、「それは大丈夫ですから」と答えを貰っていたにも関わらずである。
保険会社の交渉相手は、一人目から二人目と、都合4人に同じ話をする羽目になり、こちらがいやになって諦めるのを待っているのかと勘ぐりたくなるほどだった。
最終的には、コスモトレックの方がいろいろ助けて下さり、新しいチケットを何とか買うことが出来た。チケットが手に入ったのは、日曜の朝10時、空港へは11時に移動し、そのまま13時過ぎの飛行機に乗った。おみやげを買う時間などほとんどなかった。
帰国してすぐ、コスモトレックで教えてもらった「塩田Dr」を何とか探し出し、診察を受けた。診察結果としては、高度馴化するということは、血中のヘモグロビンと血小板が増え、結果的に血が濃くなるという状態になる。そのため、脳内の視覚に関する血管のどれかが、一時的につまったか、血流が悪くなったためだろう、とのことだった。念のため血液検査と週末にMRIをとって後遺症の有無を確認することになったが、まずは大丈夫そうなので一安心した。
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タンナンでは高度順応日があったため、1日余計に滞在したが、水分はとっているものの、どうも手が浮腫んできている。大事をとってダイアモックスを1錠飲んだ。
翌朝何だか目に違和感があり、遠くの山が少しぶれて見える。この時は、ダイアモックスの副作用だと思っていたが、違っていたようだ。
タンナンからは、いよいよメラピークBCへ。BCの標高は4900Mで5000Mを切るが、まだ雪が出てこない。
七面鳥のような大きい雷鳥が鳴きながらつがいで歩いている。



BCに着いた翌日は、BCが4900M、アタックキャンプが5700Mのため、1日高度順応日が設けられており、メララの上部(5500Mぐらい)まで、BCから往復する。
他に隊が出たこともあり、コスモトレックもテント不足だったせいか、今回のテントは通気性抜群の夏用テントである。
参加費プラスいくらか払うと一人テントになるが、基本的には1テントに2人で寝る。
テントはいわゆる三角テントで、BCに張ってあるその様子を上から見ると、「BCというより、林間学校じゃないの」とお互い笑い合ってしまった。
さてここから全く予期しなかったことが始まった。
メララからBCに戻り、夜中にトイレにおきたところ、なぜかひとつしかないトイレが二つ見える。トイレだけではなく、月明かりに照らされた全てのものが左右にふたつ見える。
朝起きても状況は変わらないし、最初に目に違和感を覚えたのがBCの下のタンナンだったので、高度をあげる度、だんだんひどく(二重に見える幅がだんだん広がってきている)なってきている。
素人判断ながら、目は見えているので、多分脳の問題だろうと判断し、残念極まりなかったが、無理はせずに降りることにした。他の7名のメンバーに挨拶をし、シェルパのダンバルさんが一緒に付き添っておりてくれることになった。
このシェルパのダンバルさん、カトマンズに戻ると実は警察官ということで、身体も大きく、見た目も結構迫力がある。
しかしながら、体力がなく、登りはばてばてで、こっちが気遣って休みを入れないといけないぐらいだった。シェルパは皆強い、と勝手に思い込んでいたので、この弱さは意外だった。
メラピークBCからコーテーまでは、河原の道を下ったが、全てのものが二つ見える。どうしようもない時は片目をつぶって”絵”をひとつにし、距離感はストックで河原の石をつっつきながらの下降である。さすがに、ふたつ見える状況にいいかげん気持ち悪くなり、コーテーに着く頃には吐きそうになった。
コーテーで一泊した翌朝は、幸いにも目が元にもどったので、ザルトワラを超え、順調にルクラまで歩くことができた。
道中色々と面倒を見てくれたシェルパのダンバルさんに感謝です。
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<日程> (***M)は宿泊高度
10/5 カトマンズ〜ルクラ(2830M)
10/6 ルクラ〜チュタンガ(3100M)
10/7 チュタンガ滞在(高度順応のため、ザトルワラ往復)
10/8 チュタンガ〜チュリカルカ(4280M)
10/9 チュリカルカ〜コーテー(3550)
10/10 コーテー〜タンナン(4356M)
10/11 タンナン(高度順応のため滞在)
10/12 メラピークBC(4900M)
10/13 高度順応のため、メララの上(約5500M)まで往復
10/14 メラピークBC〜コーテー(3550M)
10/15 コーテー〜チュリカルカ(4280M)
10/16 チュリカルカ〜ルクラ(2830M)
10/17 ルクラ〜カトマンズ
今回の参加者は、ツアーリーダーのS氏以下7名。年齢は上は60歳、下は29歳まで。全員初対面でしたが、自分としては、各々山岳会等で相応の経験を積んできている方々だとお見受けしました。
ただ、お一人だけ、山岳会等ではなく、催行元の国内エージェント(某A社)のガイドツアーで経験を積んできたのではないかと思われる方がいて、ちょっと違う感じを受けました。
いずれにせよ、全くの未経験者もしくは、雪山に登るには経験不足と思われる方はいなかったので、隊としては行動に支障が出るレベルではなかったかと思います。
また幸か不幸か、全員男性の隊構成でした。
以下、行動の記録です。
カトマンズから、まず登山の起点となるルクラへ国内線で移動するが、飛行機は20人乗りぐらいの双発のプロペラ機だ。
搭乗手続きは、シェルパがやってくれるが、飛行場というより、荷物倉庫と見間違うような場所(失礼!)で、何がどう手続きされているのか、皆目見当すらつかない。

飛行機のハイジャック対策は万全です。(笑)
ルクラの飛行場は、沢に対し約90度の方向で滑走路が作られているため、一旦飛行機は谷沿いに入り、右に90度旋回してから着陸する。
世界には色んな飛行場があると思うが、ここルクラの飛行場は滑走路の短さを補うためか、滑走路自体が傾斜している。着陸の時は登り坂で、離陸の際は下り坂になっている。
着陸後は、飛行場をそのまま歩いて建物内に入るが、この傾斜の強さと滑走路の短さには驚いた。
パイロットも相応の技術が要求されるらしく、着陸失敗もままあるようだ。
現実に、この数日後に1機が着陸に失敗し、パイロット以外は全員(17名)死亡した炎上事故がおきている。


ルクラの野良犬
ルクラで一泊後、高度馴化のための滞在日をはさみながらBCへのトレッキングが始まった。道々バッティ(お茶や軽食を出してくれる山小屋みたいなところ)でお茶をのみ(30ルピーぐらい)、その家の子供に声をかける。
旅人慣れした”おねだり上手?”な子供もいるが、多くは、今時日本にはいなくなったような本当に子供らしい子供が多い。


3日目に、チュタンガから標高4700Mのザルトワラを超えた。7人のメンバー中、富士山より高いところへ登った事がないのは、自分を含めて2人いたが、多少の頭痛で何とか超えることが出来ほっとした。
それにしても、乾期だというのに毎日午後から雨が降る。
ザルトワラを超え、反対側のチュリカルカにて一泊するが、翌朝は頭痛と吐き気で、自分は朝食が食べられなかった。他のメンバーは多少頭痛はあるというものの皆元気だ。



ここから一気にメラ氷河に続く、Ingkhu Kholaにあるコーテーに下る。コスモトレックの大津さんが言っていたが、例年はメラよりアイランドピークに行く隊が多いが、今年は逆転しているとのことだった。
メラ方面へ向かうトレッカーが年々増えているせいか、ここコーテーでは新しいロッジが目につく。


コーテーからは、雄大な谷沿いにタンナンへ向かう。草原状の草地にエーデルワイスやりんどうが、あちこちに咲いていて、本当にきれいだ。ザルトワラを超えてきた者だけが見れる光景ということだろうか。



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